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「浦幌炭鉱の歴史を考えて・・・」

 

炭鉱の歴史は、日本のエネルギー政策の

歴史でもある。

先日、テレビで長崎県の世界遺産になった

「軍艦島」を見たが、

時代の潮流での栄枯盛衰は

炭鉱を有した全国各地にある。

 

石炭採掘は、1854年の日米和親条約で

石炭の補給を要求され、

釧路オソツナイで始まったそうである。

その後北海道開拓使が設置され、石狩炭田に

官営幌内炭鉱が開鉱し、鉄路が伸び

室蘭での製鉄業につながった。

その後官営から払い下げられ有名な

北海道炭鉱汽船株式会社

いわゆる「北炭」となり、

三井・三菱・住友などの

財閥資本も各地に進出していく。

 

釧路炭田は三菱系が進出したが、

その炭田内にある浦幌炭鉱は

地元業者の手により開鉱した。

しかし炭層の質の問題で

浦幌炭鉱は途中の閉鉱もあり

昭和29年には、完全に閉鉱した。

最盛期には炭鉱周辺に3000人が生活し、

病院、学校など生活環境が整備されたが

昭和40年には、そこに暮らす人は姿を消し

今では炭住跡が、少しその姿を

見せるだけとなっている。

 

石炭鉱業は、明治期の富国強兵の

エネルギー部門の雄で有ったが、

数々の大きな事故の歴史でもあり

日本の苦闘の歴史とも言える。

第1次大戦後の世界恐慌による需要の低下から

満州事変をきっかけに軍需による増産がはかられ

そして終戦後の復興でも大きく伸びて行った。

それが昭和30年代後半からの

世界的なエネルギー重要の潮流の中で

次第に石炭産業は淘汰されて行き、

北海道でも数々の大きな事故も伴い

現在地域での事業継続の形で残された

釧路コールマンによる坑内掘炭鉱ひとつを

残すだけとなっている。

しかし、露天掘り炭鉱は7つ稼働しており

道内の火力発電所に供給されている。

 

先日の大地震で道内の電力が

ブラックアウトによりいっせいに

停電という事態となったが、

その要因となったのが、震源地にあった

苫東厚真火力発電所の

地震被害による発電停止だった。

火力発電所は、重油、軽油、LPGを

燃料とするものも有るが、

石炭によって稼働している発電所は多い。

 

現在わが国での石炭の大きな輸入先は

オーストラリアからとなるが、

道内の露天掘り炭鉱では

そのコスパに有利な点を見いだして

事業展開をしている事も

今回の地震をきっかけに知ることができた。

 

以前夕張を故郷とする知人より

子ども時代の夕張の話を聞くことが有った。

炭鉱地域でない道内に育ったものには

想像もできない話もあった。

昔の映画「幸せの黄色いハンカチ」の映像でも

当時の面影は偲ばれるが、

炭鉱で働く人たちの力が

電気をつくり、鉄をつくり、ものをつくり

日本をつくって行ったという事は

紛れもない事実であるし

昨日、浦幌炭鉱の炭住跡を見て

日本の歴史の礎を見た気がした。

 

 

院 長

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