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「大村益次郎、合理性最たるもの・・・」

 

NHKの番組「英雄たちの選択」

大村益次郎を学ぶ。

 

長州の村医者の息子として生まれた大村は

勉学への向上心に富み、故郷を離れ

大阪の適塾で昼夜の勉学に励み

医学を含む蘭学の知識が熟達し

塾頭となった。

 

兵学の知識にも富んだ事で

その後蘭学への傾倒が盛んであった

宇和島藩につかえ、

そしてその実力が江戸の耳に入り、

幕府お抱えの兵学者となった。

江戸では、故郷長州藩の若き藩士たちにも

教える機会を得て、中には桂小五郎もおり

長州への回帰のきっかけともなったという。

 

そこで印象的だったのは、

西洋の兵学導入に熱心だった老中の阿部正弘が

自藩では、いまだ弓と槍の教練を行っている事を

大村が知り、

「どういう事なのかさっぱりわからない」と

幕府の先行きに失望したとの話だった。

 

老中阿部は、アヘン戦争での西洋の力も十分熟知しており

その備えとして幕府での近代化を積極的に進めた

筈だったが、その徹底度合いが

事なかれ主義の面もあり

大村には、中途半端で許せなかったのだろう。

そこで、大村は幕府を後にするのである。

 

その後長州に戻った大村は、

来たる幕府との戦いに備え、

最新式のミニエ―銃4000丁の購入と

西洋では当たり前だった散兵戦術を

取り入れるためにそれまでの武士の闘い方、

武士の特権を捨てさせるという

大改革をやってのけ、

その後の幕府との闘いに勝利し

明治への扉が開かれる基礎をつくった。

 

やらなければならぬ事に対して

合理的な判断と一途な行動。

大村益次郎の偉人たる所以がそこにある。

 

大村が大上司の阿部正弘を歯がゆく思い、

失望し、それならば、

自らの理想を自ら実践に移した。

 

スケールは違えど、

何か通づる思いがある・・・

 

 

院 長

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